私たちが小学生の頃   投 稿              

● 1期生 : 原 芳雄 (世田谷区)
1期生というと何となく創業意識をくすぐられ、満更でもない気持ちになる。4年の3学期開校で我々が最上級生という真に変則的なスタートだったが、上が居ないため責任感と開放感が重なり、結束を盛り上げたような気がする。

たった2年間で卒業と言う在学だったが、思い出だけは一杯あった。それは今は亡き小尾先生という頑固で恐い反面、授業中は勿論放課後でも親身になって、我々と喜怒哀楽を共にしながら指導された。先生の存在が大きい。

   ★ 夏休の宿直室泊り込みの度胸試し。
   ★ 多摩川往復のマラソン大会。
   ★ 体操時間の相撲大会。等々。
   ★ 強い印象を残してくれた小尾先生。
 
人間的に豊かで慕われた水野君。対外的には喧嘩強いが内面では大変頼りになった花形君。小兵ながら相撲巧者の細井君。卒業後も献身的に皆の世話役だった岩瀬君。皆、今は故人となり、思い出の人となってしまったのが残念である。


● 1期生 : 市川 重尚 (秋田県)
経堂小学校に最高学年として転入してきました。当時4年生、以後2年余り最高学年で卒業しました。勉強よりも身体を鍛えることを熱心にやったと思います。

一つは相撲、近くの小学校と試合をしましたがチームとしては弱かった。次に競歩で、毎月練習をしました。全都大会に一チーム24人で参加し、17キロを2時間半で歩いたことを覚えています。

卒業後に戦争は激化したので、後輩の皆さんの苦労が大きいと思います。




次の投稿へ 年譜へ戻る   トップページへ戻る