私たちが小学生の頃 投 稿
「 防 空 壕 」 | 2期生 : 服部 幸造 (横浜市) | |||||||||||||||||||||||||||||||
昭和20(1945年)に入るとB-29の空襲がひんぱんにあり、家族は昼でも夜でも、警報のサイレンが鳴るたびに防空壕に避難するようになった。 ある夜いつもより激しい空襲があって、経堂の南の空にザーザーと音を立ててたくさんの焼夷弾が降って来た。幸い南風が強く、焼夷弾は全て裏の田んぼにそれたので助かった。 あとで消防団の人の話によると、もし落ちていたら、家庭の防空壕に入っている人たちは、全部死んだに違いないとのことでした。
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「 防 空 壕 と 灯 火 管 制 」 | 2期生 金井 千枝子 (世田谷区) | |||||||||||||||||||||||||||||||
「千枝子さん起きなさい、空襲警報ですよ」と母の声がした。眠いし、寒いし防空壕は辛い。 このぬくぬくの暖かい布団から出たくない。「千枝子何してるの」
走ってくる足音と同時にぱっと布団をはがされた。「分かった」 と 返事だけしてまだ丸まっていた。 姉が庭で 「燃えてるの三軒茶屋の方ね」 と話している。母が 「早く防空壕に入りなさい」 とせかしている。東京が毎日空襲を受けていたある日のことである。戦争が激化したので、後輩の皆さんの苦労が大きいと思います。 |
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灯火管制も嫌だった。夜になると部屋はいつも薄暗く、廊下の隅には怪物がいるような気がした。 ある夜、どんどんと扉を叩く人がいる。母が扉をあけると、大声で「電気の明かりが外に漏れてますよ、もっと気をつけてください」といきなり警察の人に怒られた。母は暗い電気をもっと暗くした。 |
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