私たちが小学生の頃   投 稿              

  「 集 団 疎 開 の 思 い 出 」 3期生 : 原田 陽子 (世田谷区)
  あの貧しかった時代にも、いえ貧しかったからこそ、小さな人情があちこちにあったと思います。

あれはお正月でした。登校して、机の蓋を上げると四角い餅が2切れ、それも焼いて硬く縮んだお餅でした。 「疎開の子は可哀そう。」 とクラスの誰かが自分の分をそっと私に。そのようなことが2回ぐらい続きました。 私はそれを持ち帰り、経堂の親に送ったことを覚えています。「東京はもっと食べ物に困っている。」 と聞かされていましたから。

戦後、落ち着いてから、父が私に言ったことがあります。「お母さんはね、陽子からの手紙をポストに見つけると、その場で泣きながら読んでいたよ。」と。当時は、東京に出す手紙は寮の先生に見せてから出していましたから、淋しいとかお腹がすいたなど書いてありませんのに、親はその裏を読み取っていたのでしょう。

今の平和を大切にしたいです。




 
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