私たちが小学生の頃   投 稿              

  「 戦 争 中 の 思 い 出 」  6期生 : 花形 勝 (川崎市)
私の家は、昔の郵便局(現在の郵政公社の寮)の近くで農家でした。家の前の道を少し行くと小さな坂があり下がると畑が、その先には田んぼが、その先は丘陵地帯で、そこに高射砲陣地があり、砲は9門ありました。

敵機(アメリカのB29など)が本土に近づくと、兵隊が兵舎から坂を駆け上がり、それぞれの部署につき、見えなかった高射砲が臨戦態勢に入ります。

時々、兄たちと畑の近くの窪地に入り、その様子を見たことがありました。敵機が見えると攻撃しました。順番に2回ずつぐらい撃ちました。私の記憶では、3回ぐらい命中し、撃墜させました。



「 集 団 疎 開 の 思 い 出 」 6期生 : 花形 勝 (川崎市)
私は、昭和20年5月25日上野駅を出発した第3次集団疎開で、新潟県の塩沢町に行きました。

宿舎(寮)は、来清寺という国道に面した小さなお寺でした。親元を遠く離れて生活するのは、生まれて初めてでした。

出発前に親から「お前は兄さんなんだから妹(2年生)とその友達の面倒を良くみるように」と言われたので、どんなに辛いことがあっても泣き言も言えず大変でした。


 



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